ブラック・シャック1577——嵐の教会に現れた「黒い犬」:フレミングの小冊子、ブライスバラの「悪魔の指紋」、レイストン修道院の巨大な犬の骨を徹底検証
1577年8月4日、イングランド東部サフォーク州のボンゲイとブライスバラの教会を、礼拝中に激しい雷雨が襲った。同じ年の小冊子は、嵐の中に黒い犬が現れ、人々の首をねじって殺したと伝える。のちに「ブラック・シャック」と呼ばれる怪物だ。小冊子の中身と地元の記録、扉に残る「悪魔の指紋」、2014年に報じられた巨大な犬の骨を確かめる。さらに、鐘楼での死者、落雷、球電という手がかりから、伝説がどう生まれて町のシンボルになったのかを考える。
日本語翻訳
はじめに——嵐の教会に現れた「黒い犬」
ハロウィンの夜にふさわしい話をひとつ。舞台は16世紀のイングランド東部、サフォーク州である。
1577年8月4日、日曜日。朝の礼拝のさなか、激しい雷雨が2つの村の教会を襲った。ボンゲイ(Bungay)の聖マリア教会と、十数キロ離れたブライスバラ(Blythburgh)の聖三位一体教会だ。同じ年にロンドンで印刷された小冊子によれば、嵐の中、炎に包まれたような黒い犬が教会に飛び込み、祈っていた人々の首をねじって殺したという。
この犬はのちに「ブラック・シャック(Black Shuck)」と呼ばれ、イースト・アングリア地方で最も有名な怪物になった。ブライスバラ教会の北の扉には、いまも犬の爪あとだと言われる焦げあとが残っている。
この記事では、伝説の出どころである小冊子を読み直し、何が記録されていて、何があとから足されたのかを整理する。そのうえで、2014年に報じられた「シャックの骨が見つかった」というニュースも確かめる。

第1章 一次資料はフレミングの小冊子1冊
伝説のもとになったのは、牧師で文筆家のエイブラハム・フレミングが書いた小冊子『A Straunge and Terrible Wunder(奇妙で恐ろしい驚異)』である。嵐と同じ1577年にロンドンで出版された。
内容をまとめると、次のようになる。
| 場所 | 小冊子に書かれたこと |
|---|---|
| ボンゲイ | 礼拝中に雷雨。黒い犬が会衆のあいだを走り、ひざまずいて祈る2人の首をねじって殺した。別の1人は「熱い火で焦がした革のように」縮み上がったが、死ななかった |
| ブライスバラ | 同じ日、同じ犬が現れ、男性と少年を死なせ、ほかの人にやけどを負わせたとされる。教会の尖塔が崩れ落ちたとも伝わる |
注意したいのは、フレミングがこの犬を悪魔、あるいは悪魔が犬の姿をとったものとして描いている点だ。小冊子は事件を「神の警告」として読者に示す、教訓的な読み物だった。16世紀のイングランドでは、怪物の誕生や奇妙な天気を「神のしるし」として伝える「驚異もの」の小冊子がよく売れた。フレミングの本もその流れにある。
また、フレミング自身がボンゲイを訪れたかどうかは、はっきりしない。ロンドンで、伝え聞いた話をもとに書いた可能性が指摘されている。
第2章 地元の記録には犬がいない
では、地元の記録はどうか。ボンゲイの地元の資料によれば、教会の会計記録(教会委員の帳簿)には、この嵐で鐘楼にいた男性2人が死亡したことが書かれているという。一方で、犬についての記述はない。
嵐はあった。死者も出た。だが、犬は小冊子の中にしかいない。
これが、資料から言える範囲だと編集部は考える。ただし、帳簿の記述は地元サイトの紹介によるもので、編集部は原本を確認できていない。この点は留保しておく。
また、「どちらの教会が先だったか」「何人が死んだか」は、資料によって食い違う。後世の語り直しでは、話が大きくなっていく傾向もある。ブライスバラの扉の焦げあとも、落雷による焼けこげと考えるのが自然だろう。地元では「悪魔の指紋(Devil's Fingerprints)」と呼ばれ、観光名所になっている。
第3章 「シャック」という名前と、黒い犬の伝統
「シャック」という言葉は、古英語の「scucca(悪魔、悪霊)」から来たとする説が有力だ。オックスフォード英語辞典もこの語源をあげている。ほかに、方言の「shucky(毛むくじゃら)」から来たという説もある。「Black Shuck」という名前が印刷物に初めて出るのは、1850年の雑誌『Notes and Queries』とされる。つまり、1577年の小冊子には「シャック」という名前は出てこない。名前と事件が結びついたのは、ずっとあとのことだ。
黒い犬の話そのものは、イギリス各地にある。古いものでは、1127年の『ピーターバラ年代記』に、黒い馬に乗った黒い狩人たちと、黒い猟犬の群れが夜の森を駆けていたという記述がある。
民俗学者セオ・ブラウンは、1958年に学術誌『Folklore』でイギリスの黒い犬伝説を調べた。ブラウンによると、黒い犬の多くは人を襲わない。夜道で旅人に付き添ったり、決まった場所に現れたりする、どちらかといえば静かな存在だという。人を殺すボンゲイの犬は、むしろ例外的だ。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1127年 | 『ピーターバラ年代記』に黒い狩人と黒い猟犬の記述 |
| 1577年 | ボンゲイとブライスバラの嵐。フレミングの小冊子 |
| 1850年 | 「Black Shuck」の名が印刷物に初めて登場 |
| 1958年 | セオ・ブラウンが黒い犬伝説の調査を発表 |
| 2014年 | レイストン修道院跡の大型犬の骨が「シャックの骨か」と報道 |
第4章 「シャックの骨」は見つかったのか
2014年5月、イギリスのメディアが一斉に報じた。サフォーク州のレイストン修道院跡で、巨大な犬の骨が見つかった、ブラック・シャックの骨ではないか、というのだ。
発掘したのは、考古学グループのDigVentures。骨は浅い墓穴に埋められていた。報道では、後ろ足で立つと約2.1メートル(7フィート)、体重は約90キロ(200ポンド)と推定された。グレート・デーンほどの大きさだ。年代は、修道院が使われていた中世のものと考えられたが、当時は分析の結果待ちだった。
ただし、この話には大きな注意点がある。元になった地元紙の記事で、シャックの名前が出てくるのは見出しだけだったと指摘されている。発掘チームが「伝説の犬を見つけた」と主張したわけではない。大型の飼い犬だった可能性も、早くから言われていた。
修道院の敷地に、大きな犬がていねいに埋められていた。それ自体は興味深い発見だ。だが、それが440年前の嵐の夜の犬と同じだと示すものは、何もない。
第5章 編集部の分析——嵐の教会で何が起きたのか
ここからは編集部の推測である。
まず、鐘楼で2人が死んだという地元の記録に注目したい。当時のヨーロッパには、嵐が来ると教会の鐘を鳴らして雷を追い払うという習慣があった。鐘楼は教会で一番高い場所にあり、濡れた鐘の綱を握っていれば、落雷の危険は高い。鐘つきが雷で死ぬ事故は、18世紀まで珍しくなかったとされる。ボンゲイの死者は、こうした落雷の犠牲者だった可能性がある。
次に、「焦げた革のように縮んだ」という描写は、落雷のやけどとして読むことができる。ブライスバラの尖塔の崩落や扉の焦げあとも、落雷で説明がつく。
では、犬はどこから来たのか。考えられる道筋は、少なくとも3つある。
1. 球電(ボール・ライトニング)。雷のときに、光る玉が空中を動き回るとされる現象だ。暗い教会の中を走る光の玉を、恐怖の中にいた人々が「動く何か」として記憶した可能性がある。ただし、球電の仕組みはまだよくわかっていない。
2. すでにあった黒い犬の言い伝え。地域の伝承が、嵐の記憶と重なった可能性。
3. フレミングの脚色。悪魔を犬の姿で描くことで、「神の警告」の話としてわかりやすくした可能性。
よく似た例がある。1638年、イングランド南西部デヴォン州のワイドコム教会で、礼拝中に激しい雷雨が起き、死者と多数のけが人が出た。このときも「火の玉」が教会に入ったと記録され、のちに「悪魔が来た」という伝説になった。ボンゲイの39年後の話である。嵐の教会、死者、火、そして悪魔。この組み合わせは、ボンゲイだけのものではなかった。
第6章 伝説はどう広がったか——ノーフォークの海岸から『バスカヴィル家の犬』へ
1577年の事件のあと、黒い犬の話はイースト・アングリア全体に広がっていく。とくにノーフォーク州の海岸沿いには、夜の浜辺や墓地の近くに大きな黒い犬が出るという話が多い。オーバーストランドという村には、地元でシャックの名で呼ばれる小道があり、かつての村の看板にもシャックの絵が描かれていたという。
ここで、伝説が1つの「型」に収まっていく様子がわかる。
| 要素 | よく語られる内容 |
|---|---|
| 姿 | 子牛ほどの大きさの黒い犬。目は赤く、または緑に光る。1つ目だという話もある |
| 場所 | 海岸、墓地、教会のそば、古い道 |
| 意味 | 見ると1年以内に死ぬ、という不吉な話がある一方、旅人を守る犬の話もある |
文学への影響もよく語られる。アーサー・コナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』(1901〜02年)である。ドイルは1901年に友人のバートラム・フレッチャー・ロビンソンとノーフォークのクローマーに滞在し、そこで黒い犬の話を聞いたという説がある。ただし、小説の舞台はイングランド南西部のダートムーアで、ロビンソンが話したのはダートムーアの伝説だったとする見方もある。どちらが正しいかは、はっきりしない。
とはいえ、「荒れ地に出る巨大な黒い犬」というイメージが、20世紀に世界中へ広まった背景に、イギリス各地の黒い犬の伝承があったことは確かだ。現代でも、夜道で大きな黒い動物を見たという報告は、ときどき地元紙に載る。その多くは大型の犬や、ボドミン・ムーアの獣のような「大きな猫」の目撃談と同じ種類のものだろう。
結論——伝説は町のシンボルになった
整理すると、次のようになる。
1. 1577年8月4日、ボンゲイとブライスバラの教会を嵐が襲い、死者が出たことは、地元の記録からも支持される。
2. 「黒い犬」は、フレミングの小冊子にしか出てこない。小冊子は事件を神の警告として描く、教訓的な読み物だった。
3. 「シャック」という名前が事件と結びついたのは、19世紀以降のことだ。
4. 2014年の「シャックの骨」は、中世の大型犬の骨であり、伝説と結びつける根拠はない。
編集部の見立てでは、ブラック・シャックの正体は落雷という本物の災害に、古い黒い犬の伝承と、16世紀の宗教的な語り口が重なったものである。
それでも伝説は生きている。ボンゲイの町なかには黒い犬をかたどった像があり、地元のサッカーチームの愛称は「ブラック・ドッグス」だ。恐ろしい悪魔の犬は、440年かけて、町の顔になった。怪物が「信じるもの」から「語り継ぐもの」に変わっていく。その過程が、これほどはっきり見える例は多くない。
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*参考:A・フレミング『A Straunge and Terrible Wunder』(1577年、EEBO所収)、Wikipedia「Black Shuck」「Ball lightning」、T・ブラウン「The Black Dog」(Folklore, 1958)、East Anglian Daily Times(2014年)、Strange Remains「Archaeology, folklore, and the skeletal remains of a hellhound」(2014年)ほか。死者数など資料で食い違う点は、確認できた範囲で記載した。*