コンドン委員会1968——UFO調査に幕を引いた報告書は「トリック」と呼ばれた:1966年8月9日のメモ、解雇された2人の研究員、ブルーブック終了までを徹底検証
1969年に米空軍がブルーブックを終了した根拠は、コロラド大学のコンドン委員会の報告書だった。だが委員会は、1966年8月9日付のローのメモ「世間にはまったく客観的な研究に見えるように説明する」という一節で、報告前から疑われていた。メモの流出、サンダースとレヴィンの解雇、『ルック』誌の「50万ドルのトリック」、「トリック」の解釈の対立、報告書の結論と本文の隔たりを順に検証する。
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はじめに——UFO研究に「幕を引いた」報告書
1969年12月17日、米空軍は1952年から続けてきたUFO調査「プロジェクト・ブルーブック」の終了を発表した。空軍長官ロバート・シーマンズは、これ以上の予算は「国家安全保障の面からも、科学の面からも正当化できない」と述べた。
終了の根拠として空軍が挙げたのは、コロラド大学の報告書『未確認飛行物体の科学的研究』と、それを検討した全米科学アカデミー(NAS)の審査、過去の調査、空軍自身の1940〜1969年の経験である。ブルーブックが受け付けた報告は累計12,618件、うち「未確認」のまま残ったのは701件だった。
この報告書をまとめたのが、物理学者エドワード・コンドンを責任者とする研究班、通称コンドン委員会である。報告書は「UFO研究から科学的な収穫はなかった」と結論し、その後の米国でUFOを学術の話題として扱うことは難しくなった。
ところが委員会は、報告書が出る前から「結論ありきではないか」と疑われていた。きっかけは、1通の社内メモである。この記事では、そのメモ、解雇された2人の研究員、そして報告書の中身を順に確かめる。

第1章 空軍は「自分で調べる」のをやめたかった
1966年当時、ブルーブックは外から強く批判されていた。説明のつかない事例にも強引な説明を当てて片づけている、という批判である。同年3月、空軍の科学諮問委員会は、大学など外部の研究機関に調査を委ねることを勧めた。
コロラド大学が契約を受け入れたのは1966年10月6日。空軍が最初に示した金額は31万3,000ドルで、のちに研究費は50万ドルを超えた。責任者のコンドンは元・国立標準局長で、原爆開発にも関わった著名な物理学者だった。現場の調整役は、大学の管理者ロバート・ローが務めた。
外部の大学に任せるという形は、空軍にとって都合がよかった。結果がどうであれ、「独立した研究者の結論」として示せるからだ。ただし、その独立性が後に疑われることになる。
第2章 ローが書いたメモ——「トリック」とは何だったのか
問題のメモは、題名を「UFO計画についての考え」といい、1966年8月9日付で書かれた。宛先は大学の大学院長E・ジェームズ・アーチャーと、学務担当副学長サーストン・マニングである。まだ大学がこの契約を受けるかどうかを議論していた時期のものだ。
メモには、次の一節がある。
「ここでのトリックは、プロジェクトを、世間にはまったく客観的な研究に見えるように説明することだと思う。」
続く部分では、研究班を「客観的であろうと最善を尽くす、信じない人たちの集まり」として科学界に見せる案が述べられている。また別の箇所には、「研究は、ほとんど全面的に、信じない人(non-believers)によって行われることになる」という趣旨の文もある。
このメモは、1967年8月、プロジェクトの事務に関わっていた職員が見つけたとされる。研究員のノーマン・レヴィンらもそれを目にした。メモを外に出したのは研究員デービッド・サンダースで、1967年11月の感謝祭の前日、民間団体NICAPのドナルド・キーホーにコピーを取らせたとされる。
1968年1月31日には、大気物理学者ジェームズ・マクドナルドがローに宛てた手紙でメモを引用した。コンドンはこれを重く見て、2月7日、サンダースとレヴィンを解雇した。理由は「能力不足」とされたが、2人はメモの写しを渡したことを認めた直後だった。
第3章 『ルック』誌の「50万ドルのトリック」
メモの内容は、1968年5月14日号の雑誌『ルック』に載った記事「空飛ぶ円盤の大失態」(ジョン・G・フラー)で広く知られる。記事は、委員会を「50万ドルのトリック」、つまり米国民に「客観的な調査だ」と信じさせるための仕掛けだ、と書いた。
同年4月30日にはNICAPが記者会見でメモを批判し、同じ日、下院議員J・エドワード・ルーシュが議場で、この研究を「50万ドルの失態になりかねない」と非難した。のちに下院科学宇宙航行委員会では、批判的な科学者が多く招かれたシンポジウムも開かれている。
コンドンは記事を「虚偽と誤った記述を含む」と反論した。
第4章 「トリック」の解釈は割れている
このメモの読み方は、立場によって正反対になる。
批判側は、メモを「結論は最初から決まっていた」証拠とする。メモの書かれた時点で、世間への見せ方が議論されており、研究班の大半が「信じない人」だと明言されているからだ。
擁護側の代表が、懐疑派の著述家フィリップ・クラスである。クラスは、次の点を挙げた。
- 「トリック」には、英国流の「上手にやるこつ」という意味があり、ローはオックスフォード大学で学んだ人物だった。物理学者のルイス・ブランスコムも、研究者がこの語を「巧みな解決策」の意味で使うことを認めている。
- コンドンの報告書は、メモを「予備的な『考えを口に出したもの』」と位置づけ、実際の進め方はメモの提案とは逆だった、と述べている。
- むしろ、メモの流出と宣伝を主導したのはマクドナルドで、コンドンとローを貶める運動だった。
クラス自身も、ローの意図を確実には知りえないと認めている。メモが書かれたのは契約が決まる前で、本人は「個人的な考え」と位置づけていた。
編集部の見るところ、メモ1通で結論ありきと断定するのは難しい。一方で、独立した調査を名乗る研究班の責任者が、契約前に「どう見せるか」を文書にしていた事実は変わらず、信頼を損なうには十分だった。調査の中身より先に、「疑われる材料」が世に出てしまったことが、報告書の受け止められ方を決めた。
第5章 報告書は何を言ったか
報告書は1969年1月に公開され、同年、バンタム・ブックスから文庫版も出た。分量は1,000ページを超える。詳しい事例研究は59件にのぼった。
結論部分の最もよく引用される一文は、こうだ。
「過去21年間のUFO研究から、科学的な知識に付け加わったものは何もない。」
さらにコンドンは、これ以上の大規模な研究は正当化できない、と勧告した。全米科学アカデミーが設けた審査委員会は、この結論を支持した。
ただし、ここに批判が集まる。
- 研究班の中身(事例研究)と、冒頭にまとめられたコンドンの結論には隔たりがある、との指摘がある。J・アレン・ハイネックは、委員会が調べた事例の4分の1以上を説明できなかったと書いた。別の資料では、未解決は約3割ともされる。ただし集計の数え方は資料によって異なり、編集部は正確な件数を確認できていない。
- ハイネックは「コンドン報告は何も決着させなかった」「コンドンの序文は極めて偏っている」と評した。マクドナルドも、科学的な議論の仕方は「まったく不十分」と批判した。
当サイトの別記事で扱ったRB-47事件1957とレイクンヒース事件1956は、まさにこの報告書の中で「説明できない」と書かれた事例だ。結論は「科学的収穫なし」でも、本文には説明のつかない事例が残っていたわけである。
第6章 報告書が残したもの
ブルーブック終了後、米国政府がUFOを公式に調べる窓口は長く途絶えた。「UFOは科学の対象ではない」という空気ができ、研究者が公に取り組みにくくなったと言われる。ハイネックは1972年に『UFO体験』でコンドン報告を批判し、1973年に民間の研究機関「UFO研究センター」を設立した。
近年は、国防総省が全領域異常解決室(AARO)を設けるなど、政府が再び「UAP」として調べる動きが出ている。1969年の判断を、いまの目で見直す議論もある。当サイトのロバートソン・パネル1953の記事とあわせて読むと、「調べる側が先に答えを決めていないか」という問題が、20年を隔てて繰り返されていたことがわかる。
結論——疑われたのは結論ではなく、手続きだった
整理すると、次のようになる。
1. ローのメモ(1966年8月9日)は実在し、「トリック」の一文もある。ただし意味は、英国流の「こつ」とする読み方と、「演出」とする読み方に割れる。
2. メモを持ち出した2人は解雇され、批判が一気に広がった。メモの扱いには、マクドナルドらの運動の側面もあった。
3. 報告書は「科学的収穫なし」と結論したが、本文には説明のつかない事例が残り、結論と中身の整合性が批判された。
4. 空軍は報告書とNAS審査を根拠にブルーブックを終わらせた。
結局のところ、コンドン委員会の問題は「UFOの正体がわかったかどうか」ではない。調べる前から結論の見せ方を考えていた、と疑われる状態で出した報告書が、その後50年の公式見解になったという点にある。
UFO・UAPの現在地は、日本のUAPの記事も参考にしてほしい。
*参考:Wikipedia「Condon Committee」「Project Blue Book」、フィリップ・クラス「The Condon Report: A Trick or a Conspiracy?」、米空軍1969年12月17日付発表文書の引用資料、Encyclopedia.com「Condon Report」ほか。事例件数など資料間で食い違う数字は、確認できた範囲で記載した。*