与那国島の海底地形1986——ダイバーが見つけた「階段」は遺跡か自然か:木村政昭氏の年代が1万年から2,000年へ動いた理由と、砂岩が直角に割れる地質を徹底検証
1986年、与那国島沖の水深約25mでダイバーが階段状の巨大な岩を見つけた。琉球大学の木村政昭氏は人工の遺跡と主張し、年代を約1万年前から2,000〜3,000年前へ改めた。一方、ショック氏やヴィヒマン氏、2020年の緒方氏らの研究は、八重山層群の砂岩が層理と節理に沿って割れた自然地形と結論づけた。道具や加工痕は報告されておらず、文化庁も沖縄県も文化財とは認めていない。両説の根拠と、決着に必要な調査を並べて整理する。
日本語翻訳
はじめに——ダイバーが見つけた「階段」
1986年、沖縄県与那国島の南端沖で、地元のダイバー新嵩喜八郎(あらたけ・きはちろう)氏が、海底に階段のように連なる巨大な岩を見つけた。ハンマーヘッドシャーク(シュモクザメ)の群れを探していたときのことだという。
この地形は「与那国島海底遺跡」「与那国モニュメント」と呼ばれ、沈んだ古代都市、さらには失われたムー大陸の遺構だとまで言われてきた。2026年4月にも、生活ガイド.comの「ミステリアスな場所ランキング」で全国1位に選ばれ(琉球新報)、発見から40年たっても「遺跡か自然か」は話題であり続けている。
編集部は、どちらが正しいかを断定するより、人工説の主張が時期によってどう変わったか、自然説は何を根拠にしているかを並べて整理する。

第1章:地形の基本データ
まず、争点になっている「物」の大きさと場所を確認する。資料によって数字が少しずつ違う点に注意したい。
| 項目 | 内容 | 出典・注記 |
|---|---|---|
| 場所 | 与那国島の南端、新川鼻(あらかわばな)沖。台湾の東約100km | 英語版Wikipedia |
| 水深 | 約25〜26m | 琉球新報は25m、Wikipediaは26m |
| 大きさ | 東西約250m×南北約150m | 琉球新報。別の資料は100m×60mなど |
| 岩の種類 | 砂岩・泥岩。約2,000万年前(前期中新世)の八重山層群 | 英語版Wikipedia |
| 周辺 | 黒潮の強い流れが通る | 琉球新報 |
ここで重要なのは、岩の種類だ。砂岩や泥岩は、平らな層(層理面)に沿って割れやすい。この性質が、のちの自然説の中心になる。
第2章:人工説——木村政昭氏の見積もりは変わっていった
人工説を唱えてきたのが、琉球大学の木村政昭氏だ。発見直後に調査チームを率い、地形を「人の手が加わった階段状の巨石構造物」と説明した。ピラミッド、城、道路、競技場にあたる部分がある、という主張もある。
注目したいのは、年代の見積もりが時期によって大きく動いている点だ。
- 1990年代: 少なくとも約1万年前。海面が今より低く、地形が陸上にあった時期だとし、ムー大陸と結びつけた
- 2007年: 約2,000〜3,000年前。第21回太平洋科学会議で発表。のちの地殻変動で沈んだと説明した
ムー大陸は、ジェームズ・チャーチワードが20世紀前半に広めた説で、地質学的な裏づけはない。年代が1万年から2,000〜3,000年へ動いたこと自体は、元の仮説が当初の想定どおりでは成り立たなかったことを示す。もっとも、木村氏は研究を続けており、年代測定や海底洞窟の鍾乳石などを根拠に挙げている(資料によって内容が異なり、一次論文の全文は編集部では確認できていない)。
第3章:自然説——砂岩は「直角」に割れる
自然説の代表が、ボストン大学の地質学者ロバート・ショック氏だ。ショック氏は現地を調べ、次の点を挙げた。
- 砂岩に平行な層理面と垂直な節理(割れ目)が多く、直角に近い形で割れる
- 地震が多い地域で、岩が規則的に割れやすい
- 「道路」とされる部分は侵食でできた溝、「彫刻」は自然の傷
- 似た階段状の地形が、島の北東海岸にもある
ドイツの地質学者ヴォルフ・ヴィヒマン氏も、1999年と2001年の調査で、自然の作用で形成された可能性があると結論づけた。
学術的な裏づけとしては、緒方隆之氏らが2019年に分析し2020年に発表した研究がある。デジタル標高モデルと現地調査を使い、三人台(さんにんだい)などの陸上の類似地形と比較して、層理と直線的な節理に沿った風化と侵食でできた自然地形と結論づけた。2024年の日本地理学会でも、自然形成を支持する発表があったとされる(二次情報のため、編集部は原発表を確認していない)。
陸上に同じような階段状の砂岩があることは、強い材料だ。人工説の側は「狭い範囲に珍しい形が集まりすぎている」と反論するが、同じ岩が割れやすい性質をもつなら、似た形が集まるのはむしろ自然ともいえる。
第4章:何が見つかっていないのか
人工物かどうかを決めるのは、形の印象ではなく人間の活動の痕跡だ。海底の地形では、次のものが決定的になる。
| 確認したい痕跡 | 現状 |
|---|---|
| 石器・土器など、人が使った道具 | 報告されていない(複数の二次資料) |
| 石を切り出した加工面と、運ばれた石材 | 平らな面に崩れた石が少ないことを人工説が指摘。自然説は潮流で流されたと説明 |
| 近くの陸上遺跡との連続性 | 確立した報告は見当たらない |
| 公的な認定 | 文化庁も沖縄県も、文化財として認めていない |
沖縄の島々には、数万年前から人が住んでいた証拠がある。ここは見落とされがちな点だ。石垣島の白保竿根田原洞穴では、2万年以上前の人骨が見つかっている。つまり「古い時代に人がいたか」ではなく、「この岩に手を加えたか」が問題で、人の存在だけでは遺跡の証明にならない。
第5章:なぜ「遺跡」に見えるのか
直角の階段、平らな面、ほぼ直線の溝は、人間にとって「意味のある形」に見える。ここには3つの理由がある。
1. 層理と節理が直交する——岩の割れ方そのものが、四角い塊をつくる
2. 水中では全体が見えない——ダイバーは一部しか見ず、視界は限られる。写真は角度で印象が変わる
3. 名前が先に決まる——「遺跡」「ピラミッド」と呼ぶと、そう見えてくる
これは、写真を専門家が見たあとで世間が「本物」と読み替えたコティングリーの妖精と同じ型だ。形は証拠の入口にすぎない。
第6章:決着をつけるには何が要るか
もし決着をつけるなら、必要なのは新しい写真ではなく、測れる証拠だ。編集部は次の3点が鍵になると考える。
1. 加工面の顕微鏡観察——人が石を削れば、工具の跡が連続した線として残る。自然の割れ面は、層に沿ったなめらかな面になる。木村氏が挙げる「刻み」がどちらかは、サンプルを取って調べれば区別できる
2. 周辺の堆積物の調査——人が長く使った場所には、炭や骨、道具の破片が溜まる。海底の砂を層ごとに取り、年代を測れば、人の出入りがあったかが分かる
3. 陸上の類似地形との統計比較——三人台などの階段状の砂岩と、海底の地形で、段の高さや角度の分布を比べる。同じ分布なら自然、海底だけ極端に整っていれば人為を疑う理由になる
緒方氏らの研究は、このうち3に近い方法をとっている。一方で、潮流が強く水深も25m前後あるため、発掘のような調査は費用も手間もかかる。決定的な調査が行われにくいこと自体が、議論が40年続く理由のひとつだ。
また、年代の議論には海面の変化も絡む。氷期には海面が今よりかなり低く、与那国島の周りも陸地に近い環境だった時期がある。人工説が「陸上にあった時代」を持ち出すのはこのためだが、海面が低かった時期に人がいたことと、その人がこの岩に手を加えたことは、別の問いである。
結論——現時点の整理
| 問い | 現時点での答え |
|---|---|
| 人の手が加わった確実な証拠は | 確認されていない。道具や加工の痕は報告がない |
| 学術的な主流の見方は | 自然地形(緒方ら2020、ショック、ヴィヒマン) |
| 人工説の年代は | 約1万年前から2,000〜3,000年前へと変わった |
| ムー大陸との関係は | 裏づけなし |
| 謎が残る部分は | 一部の人工的な加工が自然の形に重なった可能性は、完全には否定されていない |
与那国島の海底地形は、「古代都市かどうか」より前に、砂岩がどう割れるかという地質の問題として見たほうが筋が通る。それでも、自然の力が四角い階段を海底につくるという事実は、十分に不思議だ。ダイビングで実際に見られる場所でもあり、遺跡ではなくとも訪れる価値は変わらない。
関連記事:コティングリーの妖精1917 / ニンゲン——南極の海の白い人型 / UFOのまち・羽咋 / 日本の怪奇現象 / UMA特集 / UFO特集